2023.05.05

靱本町がく

靱本町がく

包丁にこだわるお店は美味しい

食材にこだわる飲食店が増えた中、その食材をより活かすために、料理人が行きつくのが包丁へのこだわり。包丁の質や手入れにまでこだわるお店は、例外なく美味しい。

グルメサイトのレーティングでは紹介しきれない本当に美味しいお店を、料理人の魅力を通して紹介する、「味でつなぐ 料理人探訪」第9回目は大阪市西区靱公園近くにある、「靱本町がく」を紹介する。

「靱本町がく」は、ミシュランガイドに10年連続名を連ねる、大阪の食通に愛される割烹の名店。

割烹としては例を見ない深夜営業(反対に朝営業も試みている)にテイクアウト、また膨大なワインリストまで用意されている。

ごく少人数でお店を切り盛りする傍ら、他業種とのイベントへも精力的に参加し、多彩な活動を続ける料理人、今川さんのユニークなキャリアを伺った。
 

料理の道に入ったのは24歳。

料理はたまにやってはいましたが、明確な将来像があったわけではありません。6年間通った建築系の学校を辞めて、1年くらいイタリアンや魚屋でバイトをしていました。もちろん学歴も、資格もありません。振り返ると、20代前半は暗黒時代だったと言えるかも知れません。

母親の存在と㐂川の先代との出会い

母親が昔から料理教室をやっていて、研究のために色々なお店につれていってくれました。

ある時㐂川(大阪割烹の草分け的存在)の先代がオープンしたお店に連れて行ってくれました。たけのこを焼いた食べ物を覚えているので、春くらいだったはずです。

その先代が、「ここは人手がいらないが、丁度㐂川は人が足りていないはずだ」と言って、㐂川までそのままタクシーで向かい、紹介をしてくださいました。その時は㐂川がどういう店かも全然知りませんでした。

めぐり合わせで辿り着いた環境

和食業界は当時とてもきつかったので、母親がよく連れていってくれたフレンチのシェフには

「えらい道を選んだもんだ。大体の人は18からこの世界に入る。君の年齢なら一人前になっていてもおかしくない」と言われました。

しかし、同時に「大きな差は感じるかも知れないが、10年真面目に勤めたら大差無いと思うよ」とも言ってくださいました。

㐂川は大阪でとても有名なお店だったので、自分の前後の世代だと他の名店の跡取りがよく修行に来ていたそうです。幸いなことに私が入ったタイミングでは、若い人材が不足していました。
 

ちゃんと見えるようにやりなさい。

そのおかげで、僕は初日から洗い場にいつつ板場にも立ち、お客様のすぐ側で指示を頂きながら動いてました。

㐂川は本当は7人くらいは必要な厨房だったんですけど、5人くらいしかいなかったんです。

親方からこの準備をしてくれ、このお皿をここに置いてくれ。と、的確な指示の下で経験を積み、仕事が覚えられました。

周囲から聞く話だと、若手がたくさんいると仕事が回って来ないという話を聞いたので、僕はラッキーだったと思います。

㐂川のお店は昔から大阪の常連さんとの会話がすごく多かったです。

カウンターの高さとお客さんの目線の高さが一緒、ガラスばりの作りだったので手元が全部見えるんです。

例えば、後ろに台があっても、先代からは

「わざわざ後ろで作業をしていたら、あかんことをやっているように見えてしまうでしょう。ちゃんとお客さんに見えるようにやりなさい。見られて恥ずかしい仕事もしないように。」

と教わりました。

ただ、大阪の土地柄なのか、㐂川のスタイルなのかお客様からの要望が多く、多種多様なんです。

まだ魚をそんなに捌いたことないのに、営業中に「これ捌いて」とか。

捌いていても「そんなやり方じゃ魚に火入るぞ(温度が上がってしまうぞ)」とか。

最初は盛り付ける箸が震えましたけど、度胸がつきましたね。

予期せぬサービスマンの経験

割烹の仕事のやり方がある程度身についたというタイミングで、㐂川を卒業させていただきました。

もともと大阪割烹は食材の多様性がある文化でしたし、㐂川の親方も有名なフレンチで修行されていました。

せっかくなので新しい知識を、ということで最先端のシャルキュトリ(ハム、ソーセージ、パテ、テリーヌなど食肉加工品の総称)を学ばれた「ル・ヌー・パピヨン」に縁があり、入らせていただくことになりました。

もう当時で35,6でしたし、はっきりと「2-3年後には独立を目指している」とも言っていました。和食の経験しかない自分を、オーナーソムリエが採用してくださったことは、とてもありがたかったです。

もちろん料理人なので、厨房に入るつもりだったのですが、当時はサービスマンが全然足りていませんでした。

これも経験だと思い、一時的にサービスマンをさせていただくことになったのですが、

期限の3ヶ月が経ったタイミングでも人の目処が立ちませんでした。

「入りたかったら厨房に入ってくれて良いよ」とは言ってくださったのですが、

「お店のサービスが回ってないのに、この状況では厨房には入れませんよ」と、マネージャーみたいな形でお店を切り盛りさせて頂きました。

今考えると、お店の管理だったり資金、切り盛りをそこで学ばせて頂いたんですね。

当時は仕方なくだったのですが、大きな経験になりました。

開業の支えになった横のつながり

和食しか経験していなかった自分にとって衝撃だったことは、フレンチ、イタリアンの横の繋がりの豊富さです。

和食に従事していても基本的には他のお店の方と仲良くなることは、少なくとも自分の知る限りで専門学校時代の同級生とかでない限りあまりありません。

でも、フレンチ、イタリアンの方々はみんながみんなを知っているような感覚でしたね。そこで繋がった人脈で、ワインも勉強できたし、開業に関わる知識も勉強できました。

2軒しか経験していないのですが、和食の料理や立ち回り、度胸をつけていただいた「㐂川」と、店の切り盛りと開業の知識を勉強できた「ル・ヌー・パピヨン」。

それぞれに違うところをもらったなという感じがします。

オープン当初は、不安しかなかった

お店って、美味しいだけではだめなんですよ。これは色々な人とお話したり、実際に訪れたりして実感として強く持っていました。

いろんな方に連絡先を渡して、親とか知り合いにも何度も来て貰ったり、今でも長く支えてくださっている方がいます。

4月にオープンして、同年7月頃にはもう手詰まりになってしまいました。やっぱり厳しいな、と。これが続いたらもう無理だな、となんとなく思っていて。

そんな時に、ミシュランから連絡を頂き、星をいただきました。

それが本当に転機だったと思います。今思えば年末年始の繁忙期と重なったのかも知れませんが、やはりミシュランを見て来たという方が非常に多かったです。

今も10年連続でいただいていて、海外の方もミシュランを見て来てくださるので、本当に良いきっかけになっていると思います。

なかなか星の数が増えないので、今も試行錯誤してますけどね。
 


一文字さんの包丁は硬いのでよく刃持ちします

包丁って消耗品ですよね。毎日使って毎日研ぐというのを習慣にしていたのですが、それだとすぐに減ってしまう。

ただ、良い包丁は研ぐ回数がそこまで多くなくて良いことに気づきました。毎日使っていると、刃が傷まない使い方もできるようになってくるんです。

なので、ちゃんと使ってタイミングを見て手入れさえすれば毎日研ぐよりもむしろ長持ちします。

もっと若い時は調理技術を比べたいじゃないですか。「どれだけ魚はきれいに捌けるの?」「どれだけ薄くカツラ剥けるの?」みたいな。

そのために、包丁をピンピンに研いでやる!みたいなのがありました。

だけど、今になるとそれはもちろん必要なんだけれども、結果どんなおいしい料理が作れるかっていうのが大事だな、と思うようになりました。

とくに一文字さんの包丁は硬いのでよく刃持ちします。形もだいぶ変わってしまいましたが、まず欠けることは無い。店員さんに詳しく教えて貰って購入しました。




新しいことがやりたくなってしまう。真夏の日におでんのイベントをやったり。


若い頃は、同じ頃にオープンしたお店と自分の店を比べたり、料理通のお客さんが会話で別の店を話題にされることもあって、競争意識みたいなものがありました。

でも、ある時点から「自分がやりたいことを追求しよう」と吹っ切れました。そこから色んなことをやっています。


真夏の日におでんを提供したい、とイベントをやったら、大盛況でした。

まさかそこまで来られるとは思わず準備不足が祟ってしまいましたが。そこから何か思いついては、まず実際に取り組んでいます。

朝の営業をしようとか、深夜営業をやってみたりとか。割烹料理屋ですが、テイクアウトにチャレンジしたり。

仲の良い器屋さんと、作家さんと、酒屋さんの協力を得ながらペアリングのお酒を提供して3店舗でイベントをやるとか。

ちょっと違う業界の人と一緒にやると新しい刺激になって面白いです。飽き性なんですよね。新しいことがやりたくなってしまいます。

これからも規模の小さいお店だからこそ、味も体験も、面白いと思ったことにいつでもチャレンジしたい。それを楽しんでくださる方がいればありがたいですね。